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2012/11/21

のぼうの城を墨守する

今、映画館で「のぼうの城」というのをやっているようです。
てっきり「野望」を「のぼう」と言い換えたものだと思ってましたが違うみたい。
では何か?は映画館に行って確かめておくんなまし。

さて、この映画の時代背景は戦国時代末期。
豊臣秀吉による関東小田原の北条攻めの際にあった、忍(おし)城攻撃に関わる人々を描いた作品のようです。(ようです、というのはまだ見てないもん)。
主人公はこの忍城で守備側にあった武将、成田長親。
攻撃側の総大将は石田三成。

これ以上は映画の話に触れそうなのでやめときます。
忍城は武蔵の国の北端、上野国との境に近い地にありました。現在の埼玉県行田市付近にあたります。
周りが沼沢地、泥田に囲まれて攻めにくい城ではありますが、平城ですし数を頼めば落としにくい城ではない気がします。
一般に城攻めというのは容易ではなく、これを落とすには守備兵の3倍以上の兵力が必要とされています。
孫子に曰く、
「其の下は城を攻む。攻城の法は已むを得ざるが為めなり。」

城にこもる兵を城外におびき寄せて決戦に持ち込むとか、城内に内応者を作って内部から崩すなどの工夫をしてはじめてようやく「戦」になります。
まともに力攻めするのでは、なかなか勝つことができません。

逆に攻められた側(守る側)から見た場合、籠城策は必ずしも良い手段とは言えません。
孤立して、後詰、と呼ばれる城外からの援軍が望めなければいずれ城(もしくは要塞)は落城する運命にあります。
基本的には城にこもって負けないようにすることは出来ても、勝つというのはない、ということです。

史上、(城を)守ることを突き詰めたのは中国の墨子。
「墨守」といえば、何が何でも守り通すことを意味します。
これを転じて「墨攻」という小説を書いたのは酒見賢一。
墨子は一般的には非攻、兼愛を道として説いていると伝えられていますが、この作者は「守」を逆説的に転じて「攻」として表題にしてあります。
「守」という言葉が持つ受動的なイメージとは異なる積極的な守りの姿勢を墨子・墨家に見、彼らの教える「非攻」というのは単なる「守」=受身の姿勢ではないことを読者に伝えたかたのではないでしょうか。
本当に命がけで守る、ということは受身でいてはならず、積極的な行動あってこその「守り」というような状況がこの「墨攻」には描かれています。

日本と言う国は、武力による外交解決を望まない素晴らしい憲法を奉じており、しかしこれには諜報・外交を重んじる姿勢、最後の最後には墨守する覚悟が必要ですが、武力への幻想から目が覚めない政治家や、何がなんでも領土保全といった柔軟な外交を積極的に放棄しようとする政治家が多いのは、平和ボケのせいだ。

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