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2006/05/11

元寇防塁

長崎から福岡に着いた翌日。
この日は商用車のレンタカーを返して、午後の飛行機で九州を離れなければならなかった。
朝早く起きてレンタカーで福岡市西区今津へ、今津にある「元寇防塁」跡に向かう。
空は怪しく曇っているけど、雨が降るのは午後から、という予報だったので多分大丈夫だろう。
途中「生の松原」を通過した。ここにも元寇防塁跡がある、らしい。
らしい、というのはここに来てはじめて知ったから。
おいら達2人が想像していた海岸線にたたずむ防塁跡はまさにこの「生の松原」にある防塁跡のことなのだが、その事は九州を離れた後で知る。

さて、今津の防塁跡、はちょっとわかりにくかった。一応、標識や看板があるのでそれに従っていけば「元寇防塁跡」の石碑がある駐車場みたいな場所は見つかる。ここからさらに500mくらい歩く事になる。おいら達はそのまま浜にでてうろうろしてた。
しばらく歩くと防塁(実際には高さ1~2m、幅も2mくらいの石積みの壁)が砂に埋まって壁の上の部分しか見えないところが柵で囲われているところに出る。
石は苔むして緑色になっていて、壁の上には防砂林の松が大きく根を張っていた。
700年以上の年月がずっしりと横たわっていた。
その先には発掘された防塁が金網フェンスで囲われて保存されている。

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今でこそ「元寇防塁」と呼んでいるが鎌倉時代当時は「石築地(いしついじ)」と呼んでいたそうだ。
文永の役(1274年)後、執権北条時宗が全九州の御家人に命じて築かせた防御用の壁である。
役後2年たった1276年の3月から約半年間で西は今津から東は香椎までの海岸線20kmにわたる石築地が完成した。

050507_13
今津のあたりは大隈国(今の鹿児島県大隈半島付近)と日向国(宮崎県)の御家人が担当したそうな。
石築地が出来て5年後の1281年、再び元が責めてくるが石築地や御家人の懸命な防戦に阻まれ膠着しているうちに台風によって元の船団は大きな被害を受け撤退する。(弘安の役)

当時の状況を考えると今の小泉君と北条時宗がやや重なって見えるのだがこれは別な機会に。

僕らはこの後、レンタカーを返しに空港まで行き、その後大濠公園~福岡城跡を巡って九州をあとにした。

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