海外旅行(アジア)

2015/05/04

回民街で夕食(水餃子)

「食ったー、羊肉泡饃うまかったー」
食べ終えて、時刻は18:30くらい。
ひとごこちついたので回民街をぶらぶらすることにしました。

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(2015.4.11 回民街の日本語看板  byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO250 1/160)

「メイソウ?」なぜ日本語が!?しかもこんなディープな場所に?!
数年前だと絶対襲撃されているな。
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(2015.4.11 肉夹饃の看板 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO250 1/160)

肉夹饃(ロージャーモオ)は陝西風バーガーと言ったかんじ。甘辛く味付けたほぐし肉を饃で挟んであるだけの、チョーシンプルなもの。
お客さんとこの工場食堂で食べた。まぁまぁ旨い。

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(2015.4.11 回民街の風景1 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO125 1/160)

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(2015.4.11 回族の服装 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO250 1/160)

何度も書いてますが、回民とはムスリム(イスラム教徒)のこと。顔とか体つきは他の中国の人々と大して変わんない。違うのは身につけているものくらいしかない。
男の人は白い料理人のような帽子。女性はスカーフを頭にかぶっている。

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(2015.4.11 ○×麺 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO160 1/160)

陝西の特殊な食べ物の代表と言えば、羊肉料理がそうですが、この麺(面)も負けず劣らず代表的。老李家は恐らく屋号みたいなもの。そのあとの難解な文字、あなたは読めますか。

ビャンビャン、メンって読みます。麺は幅広の麺。きしめんより、ほうとうより、もっと幅広。似た様なものだけど(w 他の地域の中国人も「ベルト麺」とか言っています。
今回食べることが出来ませんでした。

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(2015.4.11 回民街の風景2 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.5 ISO100 1/60)

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(2015.4.11 串入れ byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO500 1/60)

羊肉(ヤンロー)とか牛肉(ニョウロー)の串。食べ終わったらここに入れましょう、的なゴミ箱に、みんなきちんと入れてるのが、ちょっと新鮮。観光客向けの通りなのですが、この時期はほとんど中国人観光客ばっかり。
きちんと入れすぎて針山みたいになっちょる。

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(2015.4.11 西羊市 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO200 1/60)

回民街にはいくつかの通りがあります。ここまで歩いてきた鼓楼に通じるメインの通りが「北院門」。
その途中で西に伸びる通りがこの「西羊市」

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(2015.4.11 回民街の屋台スイーツ? byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO160 1/60)

カステラに似たような雰囲気のもの。回民街の屋台でよく見かけましたが。。。ちょっと食べてみたかった。残念。

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(2015.4.11 回民街の屋台の羊肉串 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO320 1/60)

羊肉串焼いている。。。ゴクリ。旨そうなにおいが、、、、

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(2015.4.11 回民街の屋台のナニカ? byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO320 1/60)

こんにゃく?のようなプルンプルンしたもの。なんでしょうねえ。ちょっと辛そうな色合い。
どんぶりのようなうつわを逆さにして細切れにしてました。

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(2015.4.11 柘榴 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO100 1/60)

柘榴(ざくろ)。このまま手動で押しつぶす機械があって、見ているそばでジュース作ってました。あまりにおいしそうなんでザクロジュース買って飲みました。100%ザクロジュース。ウマー

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(2015.4.11 回民街の風景3 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO125 1/60)

PM2.5が何か?といわんばかりに濛々と焼き串の煙が立ち上っております。
うまそうなにおいに満ちております。

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(2015.4.11 回族の娘 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO320 1/60)

回族の女の子。家族で商売やっているんですね。

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(2015.4.11 回民街の屋台の干し果物1 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO400 1/60)

西域といえば、フルーツ。キャラバンは砂漠を越えて西のオアシス国家に向かうため、日持ちのする干し果物を求め、市場に向かった、、、

たぶん、唐の時代もこんな風景だったんだとおもうんですよね。

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(2015.4.11 回民街の屋台の干し棗 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO400 1/60)

干し棗っていえば、西域の定番。

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(2015.4.11 回民街の屋台の干し果物2 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO320 1/60)

小野妹子や阿倍仲麻呂も、干し果物食べたんじゃないだろうか。

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(2015.4.11 西羊市の水餃屋 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO500 1/60)

前から、水餃食べたい、と言っていたので餃子屋さんに寄りました。

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(2015.4.11 韮と卵の水餃 byNEX5N E 18-55mm 28mm F 4.0 ISO500 1/60)

これは韮と卵の水餃。これと、羊肉水餃を一盛を注文しました。

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(2015.4.11 完食の水餃 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO320 1/60)

もちろん、ふた皿とも完食。うかまったー。

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(2015.4.11 不明の文字(アラビア語?) byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO640 1/60)

何語ですか??

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(2015.4.11 水餃店前の大なべ byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO500 1/60)

店の前にあった大なべ。

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(2015.4.11 回民街の夜景 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO125 1/60)

水餃食べ終わったら、19:30くらい。いい感じの風景です。

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(2015.4.11 回民街の屋台の羊肉串2 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO800 1/60)

焼かれる前の羊肉串。

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(2015.4.11 あめつき byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO4020 1/60)

甘いにおいがするとおもったら、お兄さんたちが飴をたたいて伸ばしていました。

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(2015.4.11 回民街の夜景2 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO500 1/60)

イヤーいいですな。また来たい。

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(2015.4.11 回民街の夜景3 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO2000 1/60)

PM2.5はここで作られる、、、わけではない。もし、そうだったらおいしそうな匂いでいいんだけどねえ。

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(2015.4.11 夜の鼓動(北側) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO640 1/60)

夜の鼓楼。ライトアップされてました。

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(2015.4.11 夜の鼓動(南側) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/60)

鼓楼の反対側(南側)の額には「文武盛地」とあります。調べたけど意味はわかりませんでした。

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(2015.4.11 夜の鼓動と連凧  byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1250 1/60)

クリックして拡大するとわかりますが、連凧があがってました。風がほとんどないのに、どうやってあげたんだろう。

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(2015.4.11 夜の鐘楼 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO500 1/60)

鐘楼もきれいにライトアップされてました。

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(2015.4.11 夜の鐘楼付近の広場 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)

昼間やってた人たちがまだやっているのでしょうか。

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(2015.4.11 西安地下鉄のチケット(表) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/160)

地下鉄でホテルまで帰りました。ホテルは地下鉄駅のすぐ近く。チケットは自販機で買います。ICカードです。ゲートでは、入るときはかざすだけでOK。出るときはカードを入れるとこに入れます。
近場だと2元(40円)です。バスの料金と一緒じゃん。やっすーい。

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(2015.4.11 西安地下鉄のチケット(裏) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/160)

チケットの裏側。

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(2015.4.11 西安地下鉄2号線 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/160)

南北に走っている、西安地下鉄2号線。営業しているのは1号線と2号線。計画では6号線まであるらしい。

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(2015.4.11 KFCと早餐 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO2500 1/160)

ホテルの近くのケンタッキー。

実は、中国人の同僚から「KFCも早餐のサービス始めたよ」と聞いていましたが、良く見ると確かに6:00から早餐サービスします的な表示がある。
ちなみに出るメニューは、お粥、油條、熱豆漿 の模様。

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(2015.4.11 ホテル前 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/160)

あー、終わってしもうた。次はプライベートで来るとしよう。

ヒャッホーXi’an篇は以上で終了です。翌朝5:00起きで8時の飛行機に乗り、無事帰国出来ました。
帰国するまでの間は特に書き留めることもなかったのでアップしません。
予想以上に仕事が順調に進んだので帰国までの時間を利用して、子供の頃からあこがれていた場所に行ったり見たりすることが出来ました。
思っていた以上に歴史を感じる街で、思っていたよりも、都会で、意外ときれいで、食い物はほっぺた落ちそうなほどすげーうまくて、相変わらず中国の人は老人子供を大切にするけど、交通法規は誰決めたのそれ?見たいな感じで全く守る気ない感じで、それでも、ちょっと路地に入ると昭和の、自分が子供の頃の少し前のような雰囲気の場所でおっさんがスマホいじってて、いろいろカオスな場所でした。
ますます中国好きになりました。

日本と中国の人がもっと分かり合って、今以上に仲良くなりますように。

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2015/05/03

回民街で夕食(羊肉泡饃)(*最後の文字は食ヘンに莫)

(文中の価格は1元=20円で計算しています)

来ましたー ホイミンチエ! ヒャッホー

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(2015.4.11 西安回民街 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 7.1 ISO100 1/80)

ホイミンチエ、回民街です。イスラム教徒の街です。

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(2015.4.11 一分利泡饃館 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 9.0 ISO100 1/100)

西安に来る前からヤンロウパォモォは是非食べたかったんです。ここに入ろうぜ。

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(2015.4.11 菜譜 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO400 1/160)

値段を見たら、、、@@ 意外とお高い。ヤンロウパオモオが一杯32元。(640円)
でもこれを食べなかったら、日本には戻れませんよ。

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(2015.4.11 饃 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO200 1/60)

モオです。西安というか陝西というか西域というか、の地域でパンと言えば、これのこと。モオ(饃)は食ヘンに莫と書きます。小麦粉をこねたら発酵させず、そのまま焼き固めたものです。日持ちしますが、そのまま食べるとちょっと固め。これをこの器に細かくちぎって入れていくきます。

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(2015.4.11 番号票 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/160)

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(2015.4.11 羊肉泡饃 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO800 1/160)

ちぎったモオを入れた器を店員が持っていって上の番号票を置いていきます。しばらくすると、羊のスープと春雨、煮込んだ羊肉を入れて戻ってきます。これが羊肉泡饃(ヤンローパオモオ)です。
このスープがさっぱりしているのにコクがあって、味わい深くって激ウマ!!
衝撃的なウマさです。ヤバイです。
ここ20年間で、アメリカの韓国料理屋で食べた石焼きビビンバと同じくらい、人生に衝撃を与えた料理でした。

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(2015.4.11 羊肉串 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 7.1 ISO0 1/80)

たぶん羊肉串。クミンかなんかの香辛料が微妙なバランスで効いてて、こいつもヤバ旨。

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(2015.4.11 食道楽の夢の跡 byNEX5N E 18-55mm 23mm F 4.0 ISO500 1/160)

思わず飲み干した。
ヤバイですよ。

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2015/04/27

陝西の歴史から現代の西安へ

前半、ゆっくり見ていたら後半の南北朝~隋唐、およびそれ以降はほとんど駆け足で見ることになりました。2時間くらいではぜんぜん時間が足りませんな。

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(2015.4.11 陝西歴史博物館建物入口 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 7.1 ISO100 1/80)

博物館の出入り口から表の門を撮影。門の屋根には鴟尾がついてます。

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(2015.4.11 陝西歴史博物館 門 byNEX5N E 18-55mm 22mm F 8.0 ISO100 1/80)

鴟尾は屋根の上の端にある、くりんとした飾りのこと。日本だと、唐招提寺とか東大寺のが有名です。日本もこのころはパクリまくって中国に追いつこうと必死でした。

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(2015.4.11 陝西歴史博物館 門 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 7.1 ISO100 1/80)

陝西歴史博物館、すごっく見ごたえありました。
自分のような歴史好きにはたまらない博物館です。
たぶん一日中いても飽きない気がします。

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(2015.4.11 西安の街角 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 8.0 ISO100 1/100)

博物館を出て少し歩くと繁華街です。夕方17:00過ぎです。
急に現代に戻ってきた感じ。4000年くらい飛び越えたんで、ややくらくらします(w
右側はショッピングモール。自分は興味ないので行きませんでした。
西安、っていっても日本と同じような風景。西安は若い人が多い街です。

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(2015.4.11 西安の地下 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO1600 1/60)

階段を降りて地下鉄の駅へ。

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(2015.4.11 西安地下鉄2号線 小寨駅 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

歴史博物館最寄り駅は「小寨駅」

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(2015.4.11 西安地下鉄2号線 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO800 1/60)

昼以降ほとんど食べていないのでお腹すきました。
まずは西安の真ん中に向かい、食事する場所を探すことにしました。

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(2015.4.11 西安地下鉄2号線 鐘楼駅 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 4.0 ISO640 1/60)

西安地下鉄2号線の小寨駅から4つ目の駅が、「鐘楼駅」です。ここで下車。
西安の地下鉄は2011年末に開業したので、まだ3年半くらいしか経っておらず新しいです。チケットを買うのは自販機で買えますが、係員が付きっ切りで対応していました。
まだチケットの買い方を知らない人がいっぱいいるそうです。

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(2015.4.11 西安鐘楼 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 13 ISO100 1/100)

地上に出ると広場がありました。日本で言えば、代々木公園みたいなものかな。左奥に見えるのが西安鐘楼です。明朝初期の洪武帝の頃に建てられた歴史的建造物です。中国国内の町には古くからの建物があって、鐘楼も古い街には必ず一つある、くらいお約束の建物ですが、西安の鐘楼はその中でも結構大きい建物らしいです。街の真ん中にあります。(本来の場所から移設されたらしい)

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(2015.4.11 西安街角(鐘楼付近) byNEX5N E 18-55mm 21mm F 4.5 ISO100 1/60)

鐘楼を背にして進みます。前には西安鼓楼がみえます。鐘楼と同時期に立てられたものです。本来、鐘楼も鼓楼も街の人々に「時」を知らせる、公の建物です。

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(2015.4.11 西安鼓楼 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 6.3 ISO100 1/80)

西安鼓楼です。額には「聲聞于天」とあります。調べたら詩経の一節でした。

「鶴鳴于九皐 声聞于天」(詩経)
(鶴は深い谷底で鳴いても、その泣き声は天に届く。つまり賢人は身を隠しても、その名声は広く世間に知れ渡るというたとえ。)

この写真を撮影している自分の背中側は西安でも有名な食事どころ、回民街(ホイミンチエ)。回民とはイスラム教徒のこと。回民族といっても必ずしも人種が違うわけではないらしく、中には漢民族もいるようです。見た目にはほとんど変わりません。単にイスラム教徒というのが共通点らしいです。
現在の中国には少数民族優遇政策と言うのがあるので、熱心なイスラム教徒でなくても、イスラム教に改宗して回民族の申請をする人もいるとか、いないとか。

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2015/04/25

陝西的歴史 (隋唐)

いよいよ隋唐時代のコーナーです。
といっても隋代のものはほとんどありません。

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(2015.4.11 三彩建築模型 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

副葬品です。さすが唐代の副葬品になると、手がこんでいます。唐三彩による建築模型をお墓に入れるとは。おかげで、当時の建築事情を調べる際、大いに参考になります。

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(2015.4.11 鬼瓦 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

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(2015.4.11 左 平城京図 右 登観音台望城 七言絶句 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1000 1/60)

右は長安の整然とした町並みを歌った白楽天の「登観音台望城」の七言絶句。
左は長安を模して作られた日本の古都、平城京。まさかシャンシー(陝西)に来て、平城京地図を見るとはねえ。

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(2015.4.11 三彩低頭 仰頭馬 (唐 大足元年 701年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

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(2015.4.11 唐代の碗や罐、灯頭、皿など金器銀器 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

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(2015.4.11 鴛鴦蓮弁紋金碗 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/40)

金碗、というとその材質に目をうばれがちですが、側面に加工された紋様が精緻です。

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(2015.4.11 鎏金鉄心銅竜 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

中国人は竜が好きですね。

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(2015.4.11 緑釉壷 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)

美しい。三彩というと、低温で焼いた鉛釉陶器のことを指し、白地に緑、褐色、藍の釉薬をつけた三色柄と思いがちですが、緑と藍、緑と褐色、緑だけ、藍だけ、というようなものも三彩と呼ぶそうです。

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(2015.4.11 唐三彩 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

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(2015.4.11 左 三彩四系罐 右 三彩罐 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

釉薬をわざと流れ滴らせてデザインしています。滲みの技法も使っています。

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(2015.4.11 三彩天王俑 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

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(2015.4.11 唐代の白瓷 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

唐代では葬儀を手厚く行っており、三彩は主に「明器」といって副葬品の陶器にする装飾だったようです。日常ではあまり使われるものではなかったのです。
日常の一般的な道具には、白磁青磁黒磁などが使われていました。また唐代ではそれらの陶器を世界に輸出し、技術も向上し、その価値を高めていった時代でもありました。

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(2015.4.11 黄褐釉執壷 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)

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(2015.4.11 玄奘のたどった道 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)

唐の高僧、玄奘三蔵は、実在の人物です。天竺(今のインド)に経文を求めるたびに出て、そのたびの様子が後に「大唐西域記」にまとめられ、西域の様子を知る重要な資料となりました。またこれを元に「西遊記」が成立したのは有名ですね。

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(2015.4.11 天王俑 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)

玄奘三蔵の事跡からもわかるように、中国における仏教は北魏の時代に最初のピークを向かえ、この唐の時代に再び大きな盛り上がりを見せます。上の天王俑の多くは明器(副葬品)です。天王そのものは仏の教えを守護する役割を持っています。四天王というのは日本でも有名です。唐代では死者を守る役割があったのかもしれません。

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(2015.4.11 彩絵描金半身天王俑 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)

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(2015.4.11 仏像  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

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(2015.4.11 彩絵生肖 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

生肖は十二生肖ともいい、いわゆる十二支です。日本では十二支といえば動物ですが、オリジナルの中国での意味は単なる順番だったようです。この順番に当てられた動物を十二生肖といいます。

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(2015.4.11 大秦景教流行中国碑 (唐代建中2年 781年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1000 1/60)

昔教科書で見たような気がしますね。
大秦というのは古代ローマ帝国(もしくは東ローマ帝国)のこと。景教はキリスト教ネストリウス派のことで、たしかナンチャラ公会議で異端とされた教えでキリスト教世界で大いに迫害を受け、東へ東へと逃れていった歴史があります。そしてたどり着いたのが中国。中国唐代で、景教は大いに栄えます。この石碑はそのときの様子を伝えており、また古代キリスト教の資料としても大いに価値があるもので、世界的に有名です。世界史を選択していた自分にとってもこれはなじみがあります。

大秦国、というのは後漢(東漢)の史書、後漢書に最初に現れます。古代ローマ帝国の死者が漢の国に朝貢した、と伝えています。(まぁもちろん、ローマがそんな使者を送る理由はないので何かの勘違いだとおもわれます)

栄華を誇った景教も、9世紀半ば、唐代末期に18代皇帝武宗によって弾圧を受けて衰退します。この頃仏教も同じく迫害を受けて衰退しています。武宗は道教に傾倒していました。

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(2015.4.11 三彩女立俑 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

唐三彩のフィギュアも数多く残されていて、当時の風俗を知る貴重な資料になっています。
この人形の顔の人、どっかにいそう。

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(2015.4.11 唐代の女性 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)
唐代の女性は眉がキリリ、としとんのね。

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(2015.4.11 左 彩絵釉陶笠帽女騎俑 (唐 竜朔三年 657年)右 彩絵帷帽女騎俑(唐 顕慶二年 657年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

唐代、女性が騎乗する、というのはめったにないことだったはずですが。たぶん。
唐代に女性(特に貴族の女性)の男装が大流行したそうです。その表れじゃないですかね。

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(2015.4.11 唐代女性の化粧の順序 髪型 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)

Dsc04145

(2015.4.11 唐代女性の眉型の変遷 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO800 1/60)

古今東西、こういうのはよく見かけますが、「すごいよな」と言う言葉で片付けたい自分がいます。

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(2015.4.11 唐代交易路 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1000 1/60)

唐は、それまでの歴代の中華王朝の中でも最大版図を獲得しました。当時長安の都は人口100万人、と言われています。
西の内陸部に広がった領地からは西域の情報や文物が到来し、人の往来もかつてないほど多種多様な人種が中国を訪れていました。交易のルートも内陸のシルクロードだけでなく、海路の交易ルートも発達しました。

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(2015.4.11 彩絵胡人文吏俑 (唐 麟徳元年 664年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)

これも明器です。なぜ外国人の文吏、つまりは役人の人形を副葬品にしたのでしょうかね。胡人というと、中国の西方の人々を総称して胡と呼んでいましたが、唐代ではペルシャ系のソグド人の事を指すようです。

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(2015.4.11 三彩吐蕃人俑 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)

吐蕃とはチベットのこと。吐蕃人はこういうなりをしていたんですね。

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(2015.4.11 三彩亀茲人俑 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

亀茲は西方の王国です。タリム盆地の北側にありました。唐代初期に唐によって一旦滅ぼされてその地に都護府(地方行政機関)を置かれます。
亀茲人の人種はインド・ヨーロッパ系でした。

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(2015.4.11 彩絵釉陶胡人騎馬俑 (唐 麟徳元年 664年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)

中国周辺に住んでいた人々の歴史や風俗は資料が少なく、闇のなかにおかれることが多いのですが、理由は不明ですがこうして副葬品として人形が残されているおかげで、どんな服を着てどんな顔の特徴をしていた、と言うことが後世に伝わるのですから、すごいことですな。

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(2015.4.11 中国の製紙技術世界伝播図 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)

歴史の教科書ネタ。
唐代に起こった、中央アジアでのイスラム系帝国(アッバース朝)との戦い(タラス河畔の戦い 751年)で、製紙技術が西洋に伝わった、ことになっています。

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(2015.4.11 和同開珎 (唐 景竜二年 708年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1000 1/60)

人や物の交流は西ばかりではありません。東方の後進国日本も同様です。
長安に日本初の貨幣、和同開珎があったんですね。ペルシャやウイグルの貨幣と一緒に並べてあります。

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(2015.4.11 藍玻璃皿 (唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

唐代、すでに中国ではガラス製造技術はありました、製造技術の高さは当時の世界ではイスラム世界が最先端でした。ガラスの発祥も紀元前4000年のメソポタミア・エジプトと言われていますから年季が違うんでしょう。

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(2015.4.11 左 黄玻璃杯 右瑪瑙白(唐代 618~907年)byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

上のようなイスラム風ガラス器は恐らく交易によってもたらされたものだとおもわれます。

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2015/04/24

陝西的歴史 (南北朝)

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(2015.4.11 各族建立政権示意図(十六国) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO800 1/60)

三国時代の後は司馬氏が晋を建て分裂の時代を終わらせます。
晋の統一は長続きせず、北の騎馬民族、匈奴に華北を奪われて南に逃れます。
この匈奴族が建てた前趙の建国年304年から北魏が華北を統一する439年まで、十六国(日本では五胡十六国)時代と呼び、十六国以上の国が興亡を繰り返しています。
長安付近は、前趙、前秦、後秦、大夏がかわるがわる都にした、と解説がかいてあります。
正直どこがどうなっているのか、複雑すぎてよくわかりません。

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(2015.4.11 五銖銭(西魏 535~556年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/40)

五銖、というのは漢の時代から鋳造されている貨幣です。
西魏というのは十六国時代が北魏(曹操の建てた魏とは異なる。漢族ではなく鮮卑族の拓跋氏によって建てられた)によって終焉した後に、北魏が東西に分裂してできた長安を都とする西側の国です。

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(2015.4.11 騎馬俑(西魏 535~556年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/25)

副葬品。
北魏から分かれた西魏、その後の北周は、元は騎馬民族だった鮮卑族の国です。
馬との係わり合いが密接だったんでしょう。

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(2015.4.11 騎馬武士俑(左 北魏 386~534年 右 北周 557~581年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)

こちらも恐らく副葬品。

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(2015.4.11 銅鐎斗 炊具(南北朝 386~589年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/30)

北魏が華北を統一した以降を南北朝時代と呼んでいます。南方は東晋から宋斉梁陳の4国が興亡します。南朝文化、とか三国時代の呉や東晋を含めた六朝文化、と呼ばれるほどかつてないほどに江南方面は豊かで華やかな貴族文化が栄えます。

銅鐎斗というのは銅製の料理用鍋のこと。

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(2015.4.11 獬豸(陶製一角獣 北魏 386~589年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1000 1/60)

獬豸(日本語ではカイチ)とは一角獣のこと。中国では瑞獣とされて、法律・裁判との関連性が強いです。耳も長いですな。

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(2015.4.11 鎏金佛菩薩三尊銅像(東魏 534~550年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)

東魏は陝西と関連がなさそうなのですが、なぜか置いてあります。
前代の北魏時代は中国史上、唐代とならぶほど仏教文化が栄えた時代です。
南北朝~唐代の仏像が多く残されています。
雲崗石窟は有名ですね。これも北魏時代に作られています。

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(2015.4.11 独狐信多面体煤精組印(西魏 535~556年) byNEX5N E 18-55mm 42mm F 4.5 ISO2500 1/80)

独狐信は人の名前です。西魏の軍人だったようです。煤精は硬い石炭のことで、黒玉ともいいます。正方形の印面が18箇所、3角形の印面が8箇所あり、14箇所の正方形印面には文字が彫られています。「大司馬印」とか、「大都督印」とか、「刺史之印」など。
解説には、北朝の印璽制度研究においては貴重な資料である、と書いてありました。

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(2015.4.11 独狐信多面体煤精組印(西魏 535~556年) byNEX5N E 18-55mm 42mm F 4.5 ISO400 1/80)

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2015/04/23

陝西的歴史 (漢)

考えてみたら、来週からGWなんですねえ。なんにも考えていなかった。
ここ数日天気が良く、日中は暖かさを通り越して暑くなっています。でも朝晩はまだ寒いです。会社の躑躅も結構な数が咲いて、きれいになってきました。

さて閑話休題。

秦の時代は長くは続かず、強権的で急進的な始皇帝と李斯による改革は、反発を受けます。始皇帝が生きている間は表に出てきても大事になりませんでしたが、始皇帝の死後、各地で大規模な農民反乱が発生。先にも書いたように、地方役人だった劉邦が犯罪者を護送中、驪山で犯罪者と供にヤッテランネーヨとばかりに逃亡します。流浪した劉邦ですが、彼の類まれなる包容力は人気を集めます。戦には負け続け、項羽に追われて西安の南方、山の向こうにある漢中に左遷されたりして(これが漢という国名の起源)散々ですが、最後の戦い「垓下の戦い」で勝って、秦に変わる統一国家、漢を建てます。

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(2015.4.11 象牙算木(西漢=前漢 紀元前206年~紀元8年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO3200 1/60)

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(2015.4.11 金餅(西漢=前漢 紀元前206年~紀元8年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1250 1/60)

219枚の金餅。1枚が227.6~254.4gあって、総重量54kgほどあります。1枚1枚に文字や符号など刻印されています。通貨としての流通はなく、恩賞や贈呈品献上品として用いられた、と解説にかいてあります。

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(2015.4.11 金怪獣(漢 紀元前206年~紀元220年) byNEX5N E 18-55mm 46mm F 5.0 ISO2000 1/80)
匈奴は漢の北方にいた騎馬民族でした。時折、漢の領地を攻めて略奪行為に及んだため、漢の7代目皇帝、武帝が大規模な外征を行い、衛青とその甥の霍去病を登用して匈奴との戦いを勝ち進めます。漢は武帝の時代に西域を手に入れ、最大版図を築くのです。
上の金怪獣は匈奴の墓から出土したものです。
武帝に攻められ衰退する前の匈奴の貴族の墓だったのでしょうか?
(ネットで調べてみると匈奴の武将の帽子の上についていた飾りだったようです)
たてがみが豪勢な感じにデザインされた馬、のように見えます。

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(2015.4.11 文字瓦当(漢 紀元前206年~紀元220年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)

戦国時代に現れた瓦当ははじめ半円形だったようです。これが秦、漢の時代に円形の瓦当に変わっていきました。デザインも、半円形のころは動物や樹木の文様が主でしたが、円形の時代になると、4分割して吉祥を表す文字をデザインしたものが多くなったそうです。

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(2015.4.11 三国鼎立形勢図(三国) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)

漢のコーナーの最後は三国時代。いわゆる三国志の世界ですが、ほんのわずかしか展示がありません。

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(2015.4.11 銅馬刺(三国蜀 221~263年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/20)

上は漢中に程近い、定軍山で見つかったいわゆるマキビシ、です。馬刺と書いてあるから熊本産。。。おれは「馬刺し」かっ!

定軍山といえば、

「遺体は漢中の定軍山に埋めよ」

諸葛孔明が遺言で定めた自らの死に場所。
身は滅び、魂魄になってもこの地で魏軍を食い止めますぞ、という死してもなお故主劉備に向けた忠心に、子供心に身もだえするほど感動した覚えがあります。

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2015/04/22

陝西的歴史 (秦)

陝西省の省都、西安。
その昔は長安という呼び名でしたが、長安が出来る前にその近郊には別の都市がありました。
最初は西周の都としての豊邑。
その後、周が商を滅ぼして後に、都に定めた対岸の街、鎬京。
鎬京はその後、周の内乱により破壊され周王は都をそれまでの副都だった洛邑に移します。(今の洛陽)
秦の時代、鎬京だった場所の西に咸陽が作られ秦の都として栄えました。
秦が滅ぼされると、漢の高祖劉邦は咸陽の東に長安を建設し、都としたのです。

さてその秦。

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(2015.4.11 秦の版図 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/60)

周は諸侯の力が強く、周王の統制力は長く続きませんでした。本来ならば王を名乗ってよいのは周の君主だけでしたが、周代の後半になると諸侯は自ら王を名乗り始めます。この時代を戦国時代と呼びます。

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(2015.4.11 鳥蓋瓠壷 (戦国) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)

戦国時代の壷です。デザインが凝っていますね。

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(2015.4.11 青銅竜 (戦国 秦 紀元前475年~221年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/60)

この青銅製の竜も、どこかで見たぞ。。。そうだm大宰府で見た気がします。
ようやく思い出しました。2年前に国博で展示していた、「中国 王朝の至宝」展で見たんです。
キーワードは「三星堆」

またこんなところで会えるなんてねえ(嬉♪

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(2015.4.11 半両銭 (秦代 紀元前221年~207年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO2000 1/60)

戦国時代に終止符を打ち、長い分裂の時代に統一の風を吹き込んだのは西の後進国、秦でした。後進国ではありましたが、であるがゆえに新しい考え方に柔軟で、合理的で、国内外にとらわれない有為の人材の登用に積極的でした。やがて、法家思想による合理的な国づくりを行い瞬く間に強大な国へと成長します。
秦では始皇帝が有名ですが、彼の曽祖父の「昭襄王」、昭襄王の祖父の「孝公」が秦という国を作り上げていったキーパーソンです。
始皇帝は統一後、法家の家臣李斯と共に、さまざまな改革を進めます。
上の写真は貨幣の統一をめざし作られた半両銭です。それまで戦国時代の各国はおのおのが独自の通貨を持っていたのです。

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(2015.4.11 文字の統一 (秦代 紀元前221年~207年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 3.5 ISO3200 1/30)

統一したのは貨幣だけではなく、度量衡(長さ・重さ・容積)、馬車の車幅(ワダチ幅)など多岐にわたります。そして上の写真は文字フォントの統一。いわゆる「篆書体」に統一させたのです。
馬と言う文字は、秦が統一しなかったら、全く違う文字になっていたかもしれません。

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(2015.4.11 杜虎符 (秦代 紀元前337年~325年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO800 1/60)

上の写真は「虎符」という兵権の印です。杜という県で使われていたので「杜虎符」
始皇帝は中央集権をすすめ、全国に郡に分け、さらに郡の下に県を置き、地方支配の細分化を図りました。地方における兵の分担は県単位で行われ、上のような青銅製の割符によって兵権を制御しました。
これを使用するときは左右に分けて、片方を王が持ち、片方を将軍が持つようにして、一定の人数以上の兵を動かすときは、王の持つ割符と将軍が持つ割符を合わせる必要があったのです。

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(2015.4.11 杜虎符 (戦国 秦 紀元前337年~325年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO800 1/60 (拡大))

彫られた文字はこうです。
「兵甲之符、右在君、左在杜、凡興士被甲、用兵五十人以上、必会君符、乃敢行之、幡墜之事、難母会符、行殿也」

(この虎符(兵符)は右半分を君(王)が、左半分を県が各々保持する。およそ発兵する際、兵士数が五十人以上に及ぶ場合は必ず君(王)符と符合させ、然る後に発兵させなければならない。但し、敵の来攻があるような緊急事態の場合は、君(王)符と符合させないでも発兵してよい、という内容)

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2015/04/20

陝西的歴史 (新石器時代~周)

(文中、1元=20円で計算しています)

シャンシー デ リーシー、と言うのかな。
ピンマーヨウから西安駅に戻ってきて、次の目的地の陝西歴史博物館に向かいました。
駅前でタクシーを拾おうとしたのですが、運ちゃんが全く取り合ってくれず。乗車拒否かよ~(苦笑)
仕方ないので、バスで向かいました。(2元=40円)
バスの中では老人とか子供が乗ってくると若い人は積極的に席を譲ってました。中国では北京でも、上海でもこういう風景はよく見かけます。こういう事が普通にできるってすばらしいです。でも地下鉄では降りてくる人を優先にしようよ(苦笑

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(2015.4.11 陝西歴史博物館 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 10 ISO100 1/100)

バスの窓から高い塔が見えました。これは大雁塔(ダーエンタオ)という唐の高僧、玄奘三蔵ゆかりの塔なのでした。観光名所になっています。写真撮り忘れました。
自分はこの大雁塔というバス停で降車。そこから歩いてすぐ博物館に到着。でも、何か長蛇の列が、、、15:時過ぎでこの列はないやろー、、、(閉館は17:30)
実はこの歴史博物館、中国の人は「無料」なんです。中国でもすっごい有名な博物館(日本で言えば有名国立博物館クラス、たとえば京都国立博物館くらい。)ですが、それがタダって、なんて中国政府は太っ腹なんだろう。
話を元に戻して、長蛇の列は中国人の方々でした。無料なのですが、整理券のようなものを配っているカウンターがあり、そこに並んでいるのでした。まぁ、確かにただだからむやみやたらと入館させると大変なことになっちゃうんでしょうね。

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(2015.4.11 陝西歴史博物館チケット byNEX5N E 18-55mm 22mm F 13 ISO100 1/160)

無料整理券を配っているカウンターの隣で、20元(400円)払ってチケットをゲット。全く誰も並んでいないのですぐ入手できました。

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(2015.4.11 入り口の挨拶文 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 7.1 ISO100 1/80)

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(2015.4.11 案内板 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 6.3 ISO100 1/80)

建物は2階建てで、まっすぐ進むと展示の部屋になります。左から入っていくのですが、上の写真の緑色部分がAで先史時代から周代までを扱っています。
次が秦代で青色部分のBの部屋。

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(2015.4.11 案内板 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 5.0 ISO100 1/60)

そこから2階に上がって薄緑色のCが漢代、水色のDが隋唐代、Eが唐代以降となっています。

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(2015.4.11 音声ガイド受付 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO640 1/60)

建物に入って右手には音声ガイドの受付カウンターがあります。日本語の音声ガイドもあり、私は借りました。1台30元(600円)ですが、デポジット100元必要です。このお金は音声ガイド返却時に返金されます。

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正面には獅子像がにらみを効かせています。武則天の母、楊氏の陵墓から出土したものらしいです。

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(2015.4.11 入口 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)

さぁ、歴史の扉を開かん!

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(2015.4.11 新石器時代の陶器と符号 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)

黄河流域にあった新石器時代の文化を仰韶文化と呼びますが、西安の近くにその時代に繁栄した環濠集落の遺跡が見つかりました。これを半坡遺跡といいます。この遺跡から上の写真のような陶器と陶器につけられた符号が発見されています。

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(2015.4.11 何かの符号(新石器時代) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/60)

この符号はまだ甲骨文字が成立するはるか以前のもので、単なる紋様、という説や文字の起源、と言う説があり論争中だそうです。
甲骨文字といえば、商王朝の高宗武丁。宮城谷昌光の 『沈黙の王』です。

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(2015.4.11 卜骨(先周) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)

先周と書いてますが、周の起源は西安よりもさらに西方です。
中原では夏の後に商王朝(殷、と言ったほうがなじみがあるかも)が成立します。
先の商の高宗武丁の曾孫の代に武乙という無道な王が立ちます。恐らくこの頃に周の古公亶父が周の街を周原と呼ばれる岐山のふもとに移します。このときから周王朝が成立するまでを先周、と呼びます。

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(2015.4.11 甲骨文にある周の文字 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

甲骨文字は占いで使用されているものが多く発見されています。
商は中原の強国ですが、はるか西方の周原に移動してきた周とも親交がありました。
周、という国(文字)の名前の由来は土地に起因しているようです。中国語読めねー(泣

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(2015.4.11 陶袋足鬲(先周) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)

面白い足の土器。

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(2015.4.11 它盉(タヘ)/水器(西周) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

水器とは、呼んで字のごとく水の入れ物です。青銅製で細工が精巧になってきています。
時代は西周です。

先述の古公亶父の息子の季歴は非常に徳のある人物で商王に仕えていましたが、商王武乙の子の文武丁に監禁されて餓死するという一大事件が起こります。季歴の息子西伯昌は、父を殺された後も商王に仕え、周の街を周原から中原に近い豊邑(西安の近く)に移して国を豊かにします。
商の文武丁の孫が帝辛で、またの名を紂王と言います。彼は初めのころは名君だったらしいのですが、晩年には暴君になります。西伯昌は息子を讒言によって紂王によって煮殺され、その肉を食べさせられた、と史書にあります。
それでもなお、西伯昌は商王に仕えつづけ、国許においては仁政を行います。晩年には太公望を軍師に迎え、領土を広げます。
西伯昌は商の臣下のまま亡くなりますが、その子の武王が牧野の戦いで商軍70万に対し40万の兵で決戦に及び、これを破って商を滅ぼします。
こうして西周(日本でも西周と呼ぶ)が成立します。(都は鎬京、先の豊邑の対岸)

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(2015.4.11 牛尊/盛酒器(西周中期) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)

この、ベーしている牛尊、たしか大宰府で見たことがあるような気がします。
牛の上にはねずみが乗っていますね。お約束です。

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(2015.4.11 梁其壷(西周晩期) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

周はここまで。周といってもその後東方の洛陽に都を移して以降、東周と呼ばれますが周王の力は衰えで諸侯の力が強くなります。いわゆる春秋・戦国時代です。
西安付近では、秦が力を蓄えていました。

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2015/04/19

ピンマーヨウ

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赤矢印:西安駅からのバスの乗降場所。
黄色矢印:チケット売り場
緑矢印:兵馬俑の入り口

(文中、1元=20円で計算しています。)

西安駅からバスで揺られて進むこと約1時間でピンマーヨウ(兵馬俑)に到着。出発するとき、バスはほぼ満席でしたが、途中のホワチンチー(華清池)で乗客の8割くらいが降りていきました。ちなみに、ホワチンチーは唐の玄宗時代にヤングイフェイ(楊貴妃)が湯浴みした場所、です。当時は温泉が湧き出ていて、玄宗が楊貴妃のために離宮を造営したらしいです。

楊貴妃にはあまり関心が無い自分は素通り。

兵馬俑と言う言葉そのものは、死者を埋葬する際に一緒に埋めた兵士や馬の土人形のこと。秦の始皇帝の陵には膨大な数の兵馬俑が埋められていて、歴史書にも載っていたものの、存在は疑問視されていたらしいです。しかし、41年前の1974年。住民が井戸を掘っていて発見した陶器のかけらがきっかけとなり、8000体の陶製兵馬俑発見につながったそうです。

バスが到着した道路から公園のようなところに入ってまっすぐ進むと、怪しい兄ちゃんに100%声をかけられます。(とおもいます。) こういった手合いは中国に限らず多いのですが、しつこくされても軽く笑顔でスルー、が基本です。

まっすぐ進み、駐車場やみやげ物売り場の先にチケット売り場があります。

チケット(150元=3000円!高い。)を買いゲートを抜けると、

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(2015.4.11 案内板 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/200)

上のような案内板がありましたが、そこは公園でした。案内板の左下の入り口付近。そこからさらに、てくてくと歩きます

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(2015.4.11 兵馬俑までの公園 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 9.0 ISO100 1/100)

公園内は静かな感じ。春ですね。

 

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(2015.4.11 兵馬俑ゲート byNEX5N E 18-55mm 22mm F 13 ISO100 1/160)

公園の先に本当のゲートがあります(笑

 

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(2015.4.11 1号坑前 byNEX5N E 18-55mm 24mm F 11 ISO100 1/100)

ゲートを抜けると正面には1号坑。ぱっと見どこかの体育館風。

 

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(2015.4.11 1号坑入り口 byNEX5N E 18-55mm 24mm F 11 ISO100 1/100)

1号坑の入り口です。ここから中に入ると。

バーン!

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(2015.4.11 1号坑01 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO200 1/60)

でっかい体育館(苦笑 に精巧な埴輪(違う)の軍団が朝礼中(もっと違う)。

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(2015.4.11 1号坑02 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO500 1/100)

今まで博物館でのレプリカとか、写真でしか見たことがありませんでした。

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(2015.4.11 1号坑03 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO640 1/100)

実物を見ると、ちょっと鳥肌が立ってきます。

 

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(2015.4.11 1号坑04 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)

自分以外の観客は、ほとんど中国人の方々。

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(2015.4.11 1号坑05 byNEX5N E 18-55mm 24mm F 4.0 ISO800 1/60)

来た時期が良かったのか、恐らく観客は少ないほうかとおもいます。
土曜日ですが長期休みの時期ではないので。

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(2015.4.11 1号坑06 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO800 1/100)

体育館の奥のほうはまだ修復が終わっていない、掘られたままの姿です。

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(2015.4.11 1号坑07 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO1250 1/100)

体育館 一号坑の奥のほうでは修復中のものがおいてありました。

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(2015.4.11 1号坑08 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.5 ISO100 1/60)

1号坑の発掘作業はまだ完全に終わっておらず作業継続中、と書いてあります。

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(2015.4.11 1号坑09 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO100 1/100)

上の写真の右側が入り口です。方角は東になります。兵馬俑の兵士たちはみな東向きに並べられているわけです。これは秦と言う国が中国の西方から興った国、という経緯が関係しています。

ちなみにここには写っていませんが、写真の手前右には下のような看板があります。

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(2015.4.11 1号坑10 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO2000 1/100)

写真撮った後に気づいたので、看板の全体が取れませんでしたが、この場所が地元の農夫が井戸を掘った地点、つまりこの兵馬俑発見のきっかけの場所ということになります。

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(2015.4.11 2号坑前 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/250)

一号坑の向かって右隣に2号坑があります。一号坑より少し小さいかな。でも建物は体育館ではなく立派な感じ。

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(2015.4.11 2号坑の壁 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 13 ISO100 1/200)

良く見ると壁の上には兵馬俑の顔が並んでます。気持ち悪い(苦笑

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(2015.4.11 2号坑入り口 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 11 ISO100 1/100)

1号坑は体育館風でいかにもな感じですが、2号坑はちょっと垢抜けた、観光目当てっぽい感じ。自分は体育館のほうが好きです(グハッ

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(2015.4.11 2号坑01 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 4 ISO2000 1/60)

建物がしっかりしているせいで、外光がほとんど入ってきません。薄暗いのでカメラも感度が上がり気味です。もちろんフラッシュ禁止です。保存にはこちらのほうが良いんでしょうねえ。

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(2015.4.11 2号坑02 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)

まだ、「掘られたまま」感が強く残る2号坑。

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(2015.4.11 2号坑03 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO3200 1/50)

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(2015.4.11 2号坑04 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO3200 1/25)

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(2015.4.11 2号坑05 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)

実は兵馬俑には彩色が施されていたようです。今まで知りませんでした。今回兵馬俑に来て2番目の驚きでした。

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(2015.4.11 2号坑06 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO320 1/60)

窓には銅馬車をかたどったデザインがされています。ヘンハオ!ベリーグーです。

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(2015.4.11 3号坑前 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 11 ISO100 1/100)

3号坑は2号坑の裏にあります。広さは最も小さく2号坑の1/4もないです。

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(2015.4.11 3号坑入り口 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 9.0 ISO100 1/100)

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(2015.4.11 3号坑01 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

広くはありませんが、発掘は進んでいるようです。

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(2015.4.11 3号坑02 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO2500 1/60)

とはいえ、まだ未完。

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(2015.4.11 3号坑03 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO3200 1/40)

右手には槍を持っていたんじゃないでしょうかね。歩兵部隊、とおもいます。

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(2015.4.11 3号坑04 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)

馬の後ろにいるのは御者です。ちなみに、昔の中国、春秋戦国時代は戦車といえばこの馬車でした。戦車万乗の国は天子(その時代で言えば周)、千乗の国は諸侯というようないわれ方をしました。

論語に曰く、「子曰、道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時。」

(子曰く、千乗の国を導むるには、事を敬んで(つつしんで)信あり(まことあり)、用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってす。)

安倍クンは絶対わからないだろうな。

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(2015.4.11 隊列庁 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/160)

ここまでは遺跡でしたが、この建物は博物館的な建物です。が、時間がなかったのでスルーしました。実はこの中に銅馬車があったのでしたー。見逃した~。

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(2015.4.11 兵馬俑ゆるキャラ? byNEX5N E 18-55mm 18mm F 6.3 ISO100 1/80)

兵馬俑のお土産やさんにあったゆるキャラ風ポップ。愛称をなんというのか知りませんが、このゆるキャラデザインのキーホルダーとか結構売ってました。自分は買いませんでしたが、中国人の若い人は買ってましたねえ。日本のゆるキャラ文化が中国にも伝播したんかなあ。
世界的に「かわいいに理(利)あり」なのかもしれません(w

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(2015.4.11 驪山 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/200)

南のほうにある山を写しました。驪山の山塊です。
史記にこんな記述があります。

「高祖以亭長、為県送徒驪山。徒多道亡。自度、比至皆亡之。」

(高祖は亭長だったので、県の命令で労役に服している囚人たちを驪山に送ることになった。囚人たちは多くが途中で脱走した。)
このあと、いずれ驪山に着くまでにすべて逃げてしまうだろうと考えた高祖はすべての囚人を解き放って、俺も逃げるよ、といいます。漢の高祖はここから流浪の生活に入るのでした。

高祖とは秦を滅ぼし、項羽との戦いを制して、漢を起こした劉邦のことです。

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(2015.4.11 土産店街 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 10 ISO100 1/100)

出口からでて、また公園の中を歩くのですが、公園から出ると長いお土産やさんロードが続きます。なんちゅう観光地デザインなんじゃ。

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(2015.4.11 土産店 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 9.0 ISO100 1/100)

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(2015.4.11 Dicos byNEX5N E 18-55mm 18mm F 9.0 ISO100 1/100)

飲食店もあります。これは中国ではよく見かけるハンバーガーショップのDicosです。
あと、マックとKFCもありました。

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(2015.4.11 西安駅 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 11 ISO100 1/100)

ようやく戻りました。帰りは7元でした。。。(140円、安い!)

朝の9時過ぎにバスに乗り、10時過ぎに兵馬俑に到着。11時頃から1号坑をスタート。13時頃に兵馬俑を出て、13時半頃西安に戻る馬車じゃない、バスに乗りました。西安駅に着いたのは14時半ごろです。2時間ではあまりにも時間が足りませんね。けっこう駆け足で見たのですが、隊列庁はほとんど見れなかったです。もっと早く出発してれば良かった。

このあと次の目的地である陝西歴史博物館(シャンシー リーシー ボーウークァン)に向かいます。

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2015/04/18

Xianバスステーション 

今回の出張先の仕事は順調に進行。お客さんには大満足していただけました。
行く前はかなり不安がありましたが、それなりに、出来る限りの準備をしていったことが勝因、と思っています。何事も、事前の「準備」が勝敗を8割を決める、というのが私の持論です。
そんなわけで、帰国前の週末にすっきりした気分で兵馬俑を見に行きました。

(文中1元=20円で計算しています。)

ホテルから出て鉄道の西安駅に向かいます。下の写真の右側の建物が西安駅。駅に向かって右隣に観光バスのステーションがあります。

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(2015.4.11 西安駅 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 13 ISO100 1/100)

兵馬俑(ピンマーヨウ)と華清池(ホワチンチー)行きのバス停です。4分おきに出ているようです。

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(2015.4.11 西安駅横の兵馬俑行きバス停 byNEX5N E 18-55mm 22mm F 10 ISO100 1/100)

兵馬俑行きのバス停の向こう側には華山(ホワシャン)行きのバス停、その向こうには太白山と書いてあります

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(2015.4.11 西安駅横の兵馬俑行きバス停 byNEX5N E 18-55mm 22mm F 11 ISO100 1/100)

バス停近くの売店。キヨスク的な感じ。

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(2015.4.11 兵馬俑行きバス停近くのキヨスク byNEX5N E 18-55mm 24mm F 8.0 ISO100 1/80)

キヨスクの向こうに城壁が見えます。引いて写すとこんな感じ。

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(2015.4.11 兵馬俑行バス停近くの城壁 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 11 ISO100 1/100)

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(2015.4.11 兵馬俑行バス停近くの城壁 byNEX5N E 18-55mm 22mm F 9.0 ISO100 1/100)

バス停にはいくつかバスが停まっていますが、今回自分が乗ったのは手前の緑色のバス(915)です。914と915が兵馬俑に向かうらしい。

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(2015.4.11 兵馬俑行バス byNEX5N E 18-55mm 20mm F 8.0 ISO100 1/80)

隣の青いバスも兵馬俑に行くみたいです。

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(2015.4.11 兵馬俑行バス byNEX5N E 18-55mm 20mm F 8.0 ISO100 1/80)

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(2015.4.11 兵馬俑行バス915 byNEX5N E 18-55mm 23mm F 9.0 ISO100 1/100)

バスの中はこんな感じ。

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(2015.4.11 兵馬俑行バス車内 byNEX5N E 18-55mm 24mm F 4.5 ISO100 1/60)

バス料金は9元(180円)。後で調べたら、兵馬俑までは7元。途中の華清池で途中下車する場合は9元らしいです。自分は途中下車するつもりがなく実際にしていなかったので2元余計に払ってしまいました、、、orz

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