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2012/05/11

休み中に「管仲」を読みました。

管仲、字は夷吾。潁上の人。
鮑叔(鮑叔牙)との親密な友人関係は後世に「管鮑の交わり」と呼ばれる。
古代中国、春秋時代の斉の宰相となって、主君の桓公を春秋時代初の覇者とした。

自分が知っていたのはこのくらいです。
ただ一般的に中国で名宰相といえば、管仲の名が一番に出てきます。
それくらいメジャーな人です。

宮城谷さんの作品に名宰相と呼ばれる人を題材にしたものは他にもあります。
伊尹、太公望、百里奚、晏嬰、楽毅、孟嘗君、呂不韋などなど。

管仲が書かれたのはずいぶん後になってからのようですし、自分自身も管仲を読むのは避けていたところがあります。
メジャーな人物を扱った作品に対する、今さら感、とでも言いましょうか。

さて読んでみて意外だったのは、管仲の印象が薄い。
前半、管仲の悲恋が大きな部分を占めます。すくなくとも管仲自身の心の影となっています。
肉親に関する相克や葛藤も合わさって、普通の人、という印象です。
管仲には別な女性との出会いがあり、その悲恋の相手とは終盤に意外な形で再会します。
その辺に共感する部分がなかったからかもしれない。

むしろ、自分は鮑叔に魅かれていました。
この本を読む前から、鮑叔のほうに好感があったからかもしれません。
彼には管仲に比べて運の良さ、というものがあるように受け取られがちです。
それはこの本の中でも触れられていますが、自分はそう思えない。
物語の終盤に鮑叔の影はほとんど消えてしまいます。

主人公よりもむしろその脇にいる人物の印象が強く残る。
宮城谷さんの作品にはこういう印象の作品が他にもあります。
「重耳」(晋の文公)における孤堰もそうです。
ただこの場合、自分はこの作品を読む前に孤堰の名をよく知らなかった。

中国の歴史ではそういう脇役が重要な役目を果たす、ということが多いように思います。
そういうことも無関係ではないのかもしれません。
でも歴史上の本来は斉の桓公を主役として脇役(補佐役)が管仲になるのですが・・・

史書での管仲の活躍は桓公の補佐を始めてからになるのですが、この本ではその時点で既に終盤です。
なんとなく宮城谷さんが意図的に、そのような印象を持つように仕向けている気がしてなりません。
ともかく歴史上、晏嬰と同じかそれ以上の評価をされている管仲を題材にしたお話としては、同じ著者の「晏嬰」ほどのインパクトはありませんでした。

うーむ。

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