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2011/11/09

太宰府 「草原の王朝 契丹」展 その1

11月に入ってこの時期の気温にしては暖かいなぁと思っていたら、今日あたりから急に涼しく、秋っぽくなりました。
朝晩の気温が15~6℃くらいです。

先週末、うちの会社は4連休でした。
SBH応援のため福岡Yドームに行った話は書いたので、今日は国博に行った話です。

週末、会社の同僚とCS観戦に福岡Yドームに行くことになりました。
出発はみんなバラバラで、福岡ドームで合流予定でした。
せっかく博多方面に行くのだから、と自分のみ午前中大宰府方面に行きました。
今、国博で行われている展示が興味のある分野なのです。
それは「契丹展」
「契丹」(きったん)とは、チンギスハーンの活躍するモンゴルが出現する少し前に平原を制覇した遊牧民族国家、もしくはその民族の名前です。

契丹族を率いて一大勢力を築いたのが、耶律阿保機。
初めはロシアと中国東北部国境付近を縄張りとするいくつもある遊牧民族の一つにすぎませんが、阿保機がこれらをまとめあげ北方の一大勢力にします。

阿保機の死後、やがて中原文化を取り入れた契丹人たちは「遼」という国家としての名乗りを上げます。
一時は当時の中原国家宋を圧迫し、講和交渉で毎年大量の貢物が宋から遼に送られることになりますが(澶淵の盟)、その大量の貢物は遼の国の体質を緩め、かつては剽悍な騎馬民族も怠惰で柔弱な民族に変貌。
その後別の遊牧民族「女真族」の立てた金国と、宋(北宋)との間に立たされて滅亡します。
契丹族の王族の一部がはるか西、中央アジアに逃れて「西遼=カラキタイ」という国を再興します。
金も宋も、そして西遼も、やがてはモンゴルの名のもとに滅ぼされるのですが・・・。
なんという波乱万丈な民族でしょうか。

そんなわけで、契丹、という勢力が大陸の平原地帯を駆け巡っていた時代は10世紀から12世紀、日本でいえば平安中~末期の頃に当たります。

さて、おまけ。
11月4日に契丹展ついでに巡った太宰府の写真(その1)です。
(共通データ 2011年11月4日 太宰府天満宮その周辺 Photo by FinepixF200EXR)

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