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2008/04/05

鞠智城、再見


先週末、鞠智城に行きました。
前に冷たい雨の中たどり着いた場所です。
あの時はカメラを持っていなかったので今回はカメラ準備して行きました。
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↑鼓楼


前回行かなかった長者原展望台に行くと休憩所というには立派な建物があり、映像による説明を見ることが出来ます。
5つくらいプログラムがあって手元で選べます。一つのプログラムは5~7分くらいです。・
その先にある灰塚展望台というのがこの敷地内で最も高いところにある展望台になります。
360度見渡せます。
透明度が良ければ遠く西の方に雲仙普賢岳も見えるようです。
山鹿の不動岩というのが北の山の斜面に見えますが、かなり特徴的な巨岩。
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↑山鹿の不動岩


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↑灰塚展望台

温故創生館、と言う建物が敷地の入口にありますが、これは資料館です。
発掘された土器や木製の鍬、木簡など展示されていますが無料です。
2階の休憩室には中国西安の秦の始皇帝陵で発掘された兵馬俑と銅車馬の実寸大レプリカが展示されています。
鞠智城跡で発掘された木簡に秦人(しんひと)の忍(おし)が米五斗を納めたことが記されており、熊本には珍しい渡来系(秦氏?)の人々の存在が確認されています。

このことがきっかけで、熊本の中華系の人から贈られたものだそうです。

鞠智城が作られ運用された時代(7~9世紀頃)は、中国では唐の時代です。
秦の時代は紀元前です。
当時「秦人」もしくは「秦氏」(はたうじ)、と自ら名乗った人々がいたことは間違いなく、彼ら自身が秦の始皇帝の末裔を自称していた、というのが通説です。

九州には元来これらの渡来系氏族の末裔(と思われる苗字の人)は多く、鹿児島の島津氏の先祖と言われる惟宗氏(秦氏)や大蔵氏党と呼ばれる原田氏、高橋氏、筑紫氏、(東漢氏(ヤマトノアヤ・し))などがそうです。

自分が小学生の頃の同級生にその名もずばり「秦さん」、と言う人がいました。

今ではまるっきり日本人ですが、渡来系の人々は当時の最先端文化を持った「かっちょええ」外人だったわけです。
鞠智城跡にある八角形の鼓楼、大宰府の水城なども朝鮮半島から渡ってきた最先端文化を持った外国人の知識が活用されています。
昔の日本は発展途上国で、なおかつ国際色豊かだったといえるかも知れません。

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