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2007/08/02

トルコの歴史(おぼえがき)中編

330年 ビザンティウムは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルとなる。

(つづき)
アナトリアは東ローマ帝国の主要な領土として存在していた。
当時アナトリアに住んでいた人々は多くがギリシャ系民族で、政治の中心であるコンスタンティノープルを支配していたのも古代ローマ帝国からつながるラテン人であったし、ギリシャ人だった。
7世紀には公用語がラテン語からギリシャ語になる。
360年ハギアソフィア=アヤソフィア創建。(イスタンブール・アヤソフィア)
この時代にはキリスト教の全教会規模の会議がアナトリア内で行われている。
(ニケーア(ニカイア、ニケア=トルコ・イズニク)やコンスタンチノープル、エフェソスなど)
11世紀には中央アジアから来たトゥルク系遊牧民のイスラム国セルジューク朝がアナトリアへ侵入。
ほぼ全域を奪われ東ローマ帝国は衰退していく。

コンスタンティノープルは自分の関心が最も強いベネツィア共和国との関わりも深い。
そしていよいよ13世紀初、1204年にベネツィアの主導で第4時十字軍はコンスタンティノープルを陥落、ラテン帝国を建国する。
ラテン帝国は長続きせず、1261年にニケーアに逃れた皇族が建てたニケーア帝国によってコンスタンティノープルが奪回され東ローマ帝国は復活する。

アナトリアの大部分はセルジューク朝から分離したルーム・セルジューク朝によってトルコ化、イスラム化が進んだ。
このあたりの歴史には「アルスラーン」やら「カイホスロー」とか、田中芳樹のアルスラーン戦記の登場人物の名前が多出する。
13世紀に東方から風のように現れたモンゴル帝国の戦いに敗れ疲弊し、ルーム・セルジューク朝は滅び、アナトリアは小国が割拠する状態になる。

13世紀末にオスマンが起こしたオスマン朝がアナトリアのブルサを首都にし、次いで海(マルマラ海)を越えてヨーロッパ側(トラキア)のアドリアーノポリ(エディルネ)を征圧した後はここを首都にする。

後編はオスマン帝国~トルコ共和国です。
自分がこよなく関心を寄せるベネツィア共和国にとって、最大の宿敵であり最大の商売相手でもあったこのオスマン帝国は、ベネツィアを知る上でどうしても欠かせない国でした。
トルコという国に関心があるのもこのためであると言っていいでしょう。

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