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2006/08/14

新潟、春日山

朝早起きして、イグニッションキーを回す。エンジンがまだ冷えていて暖まるまでの間やや大きい低音はいつもの感じ。
近所迷惑にならないようにそろそろと走り出す。

今日は日本海を見よう、と思っていた。
見ようという動機、ただそれだけ。
空はところどころ薄曇だが薄雲の切れ間には明け切らないままの青い空が見える。
向かうは新潟方面。天気がよいことを祈る。
新潟に行くにはいろいろ道筋があるが、今回は交通量の少なそうな信州長野の西端R148を使って北上する。

新潟県に入る頃には天気はすっかり快晴だった。
空が青い。
海が青い。
(写真は国道8号線沿いの駐車場から日本海を望む)

060813japan_sea

夏の日本海はベタ凪だった。
自分が日本海を見る時は夏で、いつも波のないまるで湖のような表情しか印象にない。
それは今回も同じだった。
新潟県の長大な直線状の海岸線は、どこでも海水浴場と言ってもいい。
海水浴客より海水浴場の数が勝っているんじゃないだろうか。
こんなに穏やかで綺麗な海で泳ぐ事が出来るなんて、新潟の人は幸せだ。
関東からも高速使えばすぐなんだから結構穴場かも。めちゃ込みの材木座や腰越なんぞで泳ぐよりか何ぼもましである。
(写真は透明度も抜群な日本海。)

060813japan_sea2

美しい風景を見ながら変化の乏しい国道8号線を北上する。
国府、と標識のある場所に来た。新潟の旧国名は越後。越後国府があった場所は今の直江津付近である。
戦国時代、越後を治めていたのは長尾氏であり、なかでも有名なのは長尾景虎、後の軍神と呼ばれた上杉謙信である。
関東管領職を山内上杉氏から譲られた際に上杉の家名も継いだのだ。
長尾氏、後の越後上杉氏の本拠地も旧国府にあり、居城は高田平野から日本海までを一望に出来る春日山山頂にあった。
今日はその春日山城址にを訪れた。
山城というのは本来攻め難く堅固に作られているものである。春日山城も恐らく堅固な城だったのだろう。多くの郭(くるわ)や堀などが工夫されて配置されているようだ。
しかし同じ時代、謙信としのぎを削った好敵手である武田信玄の本拠地にある武田館跡と比べると、その考え方の違いが全く真逆にあるようで面白い。武田信玄の国の経営に対する考え方、が同時代人とは大分違っているのかもしれない、が、それはまた別な機会に。
夏の草いきれが立ち上る山道を上り下りして汗をかきかきようやく春日山城行楽。あ、違った、春日山城攻略。
(写真は頂上の本丸から高田平野を一望。足元は上越市街、左には直江津港と日本海も見える。)

060813kasugayama_sanchou

その後、謙信の墓があると言う上杉家の菩提寺、林泉寺を訪ねた。
墓所には一般の方のお墓もあって、お盆らしくお墓参りに来ている家族連れがいらしていた。
上杉謙信のお墓は、軍神の墓、というにはひっそりと地味な感じで立っていた。
並んで、川中島の合戦の戦死者供養塔も立っている。12年に渡って5度あったと言われるこの合戦では4度目が最も激しいもので、両軍あわせて3万3千の兵が戦い、、8千人が戦死、2万人が負傷したとされている。

兵どもの夢の果てに黙祷し、帰途についた。
(写真は林泉寺の惣門。上杉謙信によって春日山城から移築された。往時を今に伝える唯一の門、らしい。)

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コメント

ポン吉さん

お盆を超えたら日本海側で泳がんよーに。

フィアンセの父方のご先祖さんは兼信配下の将だった。

投稿: ナッシュマルクト | 2006/08/14 08:40

謙信ネ。

投稿: ナッシュマルクト | 2006/08/14 08:42

おはようございます。
たまには朝から場を見ようかな、と思ったら東京首都圏の一部で停電だそうです。大証は通常通りらしいです。日経CNBC食いつきで見てます(^^ゞ
お盆超えたら、エチゼンちゃんの襲来でしょか。
フィアンセさんのご先祖様は武士なんですね~

投稿: ポン吉 | 2006/08/14 08:46

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